出版体験記

 

『陶の金魚―ある主婦のエッセイ―』の著者 松本裕子 様の体験記

 

  本が届いた。段ボールの中に100冊、私の本が入っている。一冊を手に取り、しみじみ眺めた。灰色のからだに赤いまだらのある金魚が一匹白い表紙にのっかっている。金魚の脇には私の名前で落款もある。エッセイに出てくる陶器の金魚はまさにこんな感じだ。四、五歳の時に図画教室で作った金魚。不格好でのろまそうで、でも眺めているうちに肩の力が抜けてほのぼのとした気分になれる金魚。私の金魚。私の本。ようこそいらっしゃいました。そして、これからよろしく。いつでも傍にいて下さい。私は祈るような気持ちで『陶の金魚』を胸に抱いた。

 

 角型5号の封筒を用意した。四六版の本が余裕を持って入る大きさだ。

「お元気ですか。ご無沙汰しております。この度本を作りました。引っ越しの多い月日の中、もっとお付き合いを重ねたかった方々に、遅ればせながら自己紹介を兼ねて、『陶の金魚』を送らせていただいています。私のささやかな人生の記録です。お暇な時、読んでみてください。それでは、寒い日が続きますが、お体ご自愛ください。松本裕子」

 コンビニからメール便で出すと決めていた。メール便の注意書きに私信は規則違反だが、簡単な説明書きなら添えてよろしいとあった。水色のコピー用紙にワープロで認めた文面は必要にして十分、控えめにして、ほっとけない感じ――これって完璧かもしれない。だって読んで欲しいから。

 私は恩師、友人ら総勢40名に『陶の金魚』を送った。

 

 大学卒業と同時に結婚した。結婚生活と並行して何かを書いてみたいと思いながら、何も書かなかった。子育てのせいとか、引っ越しの多さのせいにはしない。ただ、書くことに情熱がなかっただけだ。そんな私が7年前、結婚生活18年目にしてささやかに奮起した。某カルチャーセンターの文章教室に通い始めたのだ。2人の息子たちも高校生になり、私はアルバイトを始めていたから、教室の受講料も都心までの交通費も捻出できる。

 なぜ文章教室? たぶん、自分の存在証明をしたくなったのだと思う。主婦の仕事は見方によってはむなしい。どんなにきれいに掃除をしてもまた汚れる。何時間もかけて凝った料理を作ってみても、食卓に乗せれば、瞬く間に無くなる。非生産的日常だ。

 腐らない、無くならない私のオリジナリティが欲しい。 

 もちろんその時点で「本」という発想はない。頭の中にある思いを活字にして、私は漫然と生きているのではなく、こんなふうに考えて日々生きているのです。みたいな作文のようなものを書いてみたくなった。読書は大好きだ。活字アレルギーはない。書くことを強いられる環境さえ整えば作文はできそうな気がした。ようやく、書くことへの情熱につながるうんと手前の導火線に火が点いた感じだった。

 週に一度の文章教室に4年間通った。鍛えられたと思う。楽しかったし苦しかった。あの時間について話すには、腰を据えないといけない。つまらない表現は一言たりとも使いたくない。それほど私にとって奥深く、全身の薄皮が剥がれ落ちるような体験だった。暗い夜道に立たされ、持たされたのは原稿用紙と鉛筆。自分の気持ちを掘り下げ、それが書けたとき、足元に明りが灯り、前へ進める。そうして一歩一歩私は歩いた。自分史エッセイを書くとはそういうものだと思う。

息子たちが各々ひとり暮らしを始め、私は夫の単身赴任先に行くことになり、文章教室は通えなくなってやめた。4年間いつも頭にあった原稿用紙が消えた。背中の筋肉の強張りが緩むようだった。

 文章教室で書き溜めたエッセイに十字の紐を掛けると、机の引き出しの奥にしまった。

 

 それが紐解かれるのは3年後、ここ平塚に越してからだ。

 話は飛ぶが、83歳の母は九州の太宰府市でひとり暮らしをしている。好奇心旺盛な母は80歳を過ぎて、市のパソコン教室に通い始めた。指でキーボードを打つ楽しさを知り、インターネットを覚えてからは、私とメールのやり取りをするようになった。

 母の脳の活性化に役立つと思い、私は頻繁にメールを送ろうとするのだが、さすがにネタに困った。そうして文章教室で書き溜めたエッセイを添付してみようと思った。元来、新聞や雑誌のコラムには隅々まで目を通す習慣のある母は、私の原稿用紙7、8枚の話をいたく気に入った。子育て時代の若い自分や、10年前に亡くなった父が登場するエッセイの返信メールには、参考までに、とことわりを入れ、感想と一緒に自分の記憶にあるその時代の背景が書き添えてあった。湧き立つ思いの中、夢中でキーボードを打つ母の姿を想像し、私は胸がいっぱいになった。 

 母と心が通じ合っている実感があったからだ。

 エッセイを送る私も張り切った。元原稿を読み直して言葉足らずの部分や、安易な言葉使いに手を入れた。書いた当時は見えなかったものがすんなり見える感覚があって、この作業は楽しかった。改めてエッセイの難しさも感じた。自分をよく見せたいと思う心が、簡単で素朴な言葉選びをさせなかったのだ。その心を取り払うと、そこに手が届いた。

 母のメールにあった感想のひとつだ。

「小説ばかりがもてはやされるけど、何でもない小さな文章に、なるほどなあと感心させられることがあります。あなたの書いたものも面白いです。」

 エッセイには、少女時代や結婚生活で起きた出来事を軸に、その時の心模様のようなものを織り込んでみた。

 エッセイごとに登場する家族の顔は違うのに、いつも私は同じ所で立ち止まり同じ所で思い悩んでいる。かたくなで、要領が悪く、傍から見ればさぞかしもたもたとした人間だったろう。でも、寸分違わずこれが、私なのだ。つまり、エッセイを読めば、私という人間がわかってもらえるのではないか。

 腐らない、無くならない私のオリジナリティが欲しい――ようやく私の願いがひとつの形となって見えてきた。

 2ヶ月間で20編ほどのエッセイをメールで母に送った。そして、決意を報告した。

「自費出版というのがあります。お母さんに読んでもらったエッセイを本にしてみようと思います。」

 母は喜んで賛成してくれた。

 

 自宅に近い出版社を選びたかった。自分の原稿が本になる過程を近くで見守りたい気持ちがあったからだ。

 インターネットで「神奈川 自費出版」を入力して検索した。すると、『湘南社』が、目に止まった。私は転勤族なので、湘南の地に暮らした証になると思い、運命の赤い糸を感じた。 

 さっそく18編のエッセイ原稿をエクスパックで、『湘南社』に送った。確か、「プロの方に読んでもらい。ご意見を聞きたいです。」という添え書きを入れたと思う。

 日を置かず、『湘南社』から直筆の手紙が届いた。原稿用紙120枚ほどの作品をきちんと読んでくれていて、いくつも細かい表現を拾って感想が述べてあった。私はますます『湘南社』に決めたいと思った。

 駅ビルの喫茶店で初めて『湘南社』の田中さんと会った。

 田中さんは、自費出版という未知の世界について、丁寧に、わかりやすく、楽しげに語ってくれた。話の中で、会社を立ち上げて1年であるということ、田中さんがひとりで切り盛りしているということ、着実に『湘南社』生まれの本を世に出していることも知った。

 不安は全然なかった。まず『湘南社』という社名に一目惚れしていたし、脱サラして「本作り」をしたいなんて、強欲な人間にはできない。私は自分の書いたものを誠実な人間に預けたかった。その場で、『湘南社』に本の出版をお願いすることに決めた。部数を決め、費用も確認した。頭で用意していた金額より随分おつりがきた。

 余談だが、この春社会人になる長男が、昨年夏より、学生時代にアルバイトで貯めた預金を使いきると言って世界を放浪中で、粋なお金の使い方だと感心していた。実は私にも、アルバイトでちまちまと貯めた預金があった。息子に習って、自分の歓びを追求した、ちょっと我儘なお金の使い道を模索中だったのだ。自費出版を思い立った背景として、この辺の思いとマッチした、ということも大いにある。

 

 本作りは初校、二校と順調に進んだ。途中気がかりな点は、メールや直接電話で田中さんに確認をした。

 納得のいく本でなければ自費出版本の意味はない。

 私は自分で自分に言い聞かせ、突如浮かんだ不安や疑問は、すぐに田中さんにぶつけた。一代奮起して自費出版本に臨む主婦の心を理解している田中さんは常に動じず、納得のいく解決をしてくれた。プロの仕事人なのだった。

 表紙の金魚も、「こんな感じです、参考までに」と見せたパソコンのペイント機能で描いた金魚を、田中さんはうまく使ってくれた。実物が引っ越しの荷物にまみれて見つからず、苦肉の策で描いた金魚だった。

「温かい絵ですね」と褒めてくれた田中さんは、装丁の紙質や色には、金魚がいちばん似合うものを選んでくれたと思う。

 こうして『陶の金魚』は完成し、無事私の元へ届いたのだった。契約時からほぼ3カ月が経っており、これも当初の約束通りだった。

 

 今回の自費出版本を一番喜んでくれたのは母だった。

 奥付にある本の発行日がちょうど亡くなった父の誕生日で、母は「あなたはいい供養をした」としみじみ言った。私も「お母さんがエッセイを褒めてくれたから、本にしてもいいかなと思えた」と返した。母はいまだに一日一回、『陶の金魚』を読み上げるという。

 『陶の金魚』を送ったほとんどの恩師や友人から、ありがとうの電話、はがき、メールをもらった。誰しも私が「本を作った」ことに驚いていた。子育ての最中に出会い別れた友人たちとは、文学の話すらしたことがなかったからだ。感想には、自分もああした気持ちを経験したことがある、というのが多くあった。共感を得たことは嬉しい。一方的に送った『陶の金魚』だったが、心と心が触れ合ったようで、この喜びは日々の暮らしの中では味わえない充足感と言っていいかもしれない。真面目に、一生懸命書いたエッセイへのご褒美かもしれないと思う。

 『陶の金魚』はネットや書店でも買えるようにしてもらった。未知の読者と心が触れ合うことができたなら――ご褒美はもっと大きなものになるだろう。

 

 私はエッセイを書くとき、まず記憶にある強烈な思いを呼び起こす。するとその時の風景、人物、会話が蘇り、記憶の隙間を埋めていく。あの出来事を書こう、ではなく、あの思いを書きたい、というところからエッセイが始まる。自分の心に忠実であれば、このやり方は難しくないと思う。 

 自分っていったい何だろう。そんな哲学を常日頃している人がいたら、自分史エッセイを書くことを薦めたい。絶対に自分が見えてくると思う。もしそれが本になったなら、それは自分の分身のようなものだ。いとおしくてたまらないだろう。『陶の金魚』が、私にとってそうであるように。

 

その他の著者様の声・・・・・・ 内容を見る

『陶の金魚』の著者松本裕子様(神奈川県平塚市)より

『心に響く希望の詩』の著者間米由美子様(神奈川県鎌倉市)より

『お義母さんありがとう』の著者青木みち子様(神奈川県藤沢市)より

日本近代漢文教育の系譜』の著者石毛慎一様(神奈川県横浜市)より

『「心の教育の実践」と「氣」』の著者栗田和悦様(東京都町田市)より

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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